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なぜ日本人は「世界一美しい顔」をひとりの外国人男性の審美眼に熱狂するのか?

毎年「世界で最も美しい顔ランキング100」というランキングがニュースになり、日本人の誰が何位に入っているかが話題になる。主催者はアメリカ人男性であるTC Candlerという人物のみ。つまり、ひとりの個人の好みが基準となっているランキングだ。それにもかかわらず、多くの日本人記者やメディアはこのランキングを毎年取り上げ、注目を集めている。いったいなぜ、たったひとりの外国人男性の好みによるランキングが、これほどまでに日本で熱狂的に受け入れられているのだろうか。
本記事では、この現象の背景を解きほぐしながら、日本社会に根付く美の基準、外見至上主義(ルッキズム)の問題、さらには国際社会との認識の違いについて多角的に考察していく。

たったひとりの審美眼が話題になる理由

ランキングを発表するTC Candlerは、毎年世界中の男女の中から「美しい顔」「ハンサムな顔」を独自の基準で選出する。このランキングはその公平性や客観性が保証されているわけでもなく、広く投票や専門家による審査で決められたわけでもない。純粋に「彼の嗜好」による選出なのだ。
例えば、もし隣のクラスの生徒が「世界で最も美しい顔ランキング」を勝手に作ったとして、それが全校集会でニュースとして報じられたらどうだろうか。多くの人は「そんな暇なことを!」とさほど興味を示さないはずだ。しかし、日本のメディアはなぜか毎年このランキングをニュースとして拡散し続けている。
その一因として考えられるのは以下のような要素である。

1. 「外国の権威」への憧れと承認欲求

日本人は長らく海外、特にアメリカの文化や評価を一種の権威として捉えがちだ。海外メディアや有識者の評価に「日本人が認められること」を素直に喜ぶ傾向がある。これは文化的な背景や社会の歴史的文脈が影響している。

2. 美容業界や広告メディアのマーケティング戦略

美のランキングは話題性が高く、アクセス数や注目を集めやすいコンテンツであるため、広告収入や認知度アップのために掲載されやすい。結果としてランキングに対する批判的な視点は薄まっていく。

3. ルッキズムに根付く「他人の容姿を評価したい」欲求

人間には本能的に他人の容姿を比較したり評価したがる傾向がある。これは社会心理学でも指摘されていることで、ランキングを見たり議論したりすること自体が一種の娯楽として成立している。

「かわいい子ランキング」が示すルッキズムのリアル

こうした現象を背景に、容姿のランク付けや評価がもたらす負の影響を描き出した文学作品がある。ブリジット・ヤング著のヤングアダルト小説『かわいい子ランキング』はその好例だ。この物語は、中学2年生の少女イヴが学校で突然発表された「かわいい子ランキング」で1位になったことを契機に起こる人間関係の変化や苦悩を描いている。
ランキングのせいで少女たちは外見に極度に意識が絡み、自己肯定感が揺らぎ、人間関係の軋轢が生まれる。努力家でありながら容姿を競わされる苦しみや、ランキングに載らなかったことで自分の価値を見失いかける心情が丁寧に描写されている。
この作品は単なるエンターテインメントに留まらず、ルッキズム(外見に基づく差別)の問題を少女の目線でシビアに描き、容姿評価がいかに人間の尊厳を脅かすかを問いかけている。作品中では、ランキングに対して学校や保護者が即座にハラスメントとして対応し、「外見で評価されるのは問題だ」という明確なコンセンサスが示されている。

日本社会における「容姿ランキング」の位置づけと問題点

一方、日本社会においては、こうした容姿のランク付けや評価についての認識はまだ十分に成熟しているとは言えない。特に「良い意味での容姿評価」や「褒めること」については多くの人が肯定的で、ハラスメントとしての自覚を持つ声は少ない。

容姿に対して「悪口はNG、褒めるのはOK」という認識

日本では「ブス」という悪口は避けるべきとされるが、「かわいい」「美人」と容姿を褒めることは好意的に受け取られることが多い。この点が、外見を基準にしたランキングや評価がメディアで繰り返し取り上げられる土壌の一因ともいえる。

国際社会とのギャップ:政治家の発言から読み解く問題

たとえば2017年に日本の政治家が国際会議で「我々女性大臣は見た目がよい」と発言し、場を凍らせる出来事があった。これは、職場や公の場で容姿に言及することが無礼とされる国際社会の常識との違いを象徴する。
この事件は、日本における容姿に関する感覚がまだ国際標準とズレていることを示し、容姿の評価が政治やビジネスの場面でも軽んじられがちな背景を浮き彫りにした。

変わりつつある時代の空気と今後の展望

ただし時代は少しずつ変わっている。2020年にはモデルで俳優の水原希子が「美のステレオタイプを助長しているランキングはおかしい」とメッセージを発し、フェミニズムやボディポジティブ運動の広がりも影響して、容姿評価への疑問が次第に根付き始めている。
しかしながら、最新のランキングやそれを題材とした記事は依然として繰り返されており、容姿を基準に人をジャッジし、ランク付けする文化は根強く残っているのも事実だ。

男性も含めたルッキズムの影響範囲

近年では「世界で最もハンサムな顔ランキング」も登場し、男性もまた容姿の評価から無縁ではいられなくなっている。これにより、ルッキズムの問題は女性だけでなく男性にも広がり、より社会全体での認識の変革が求められている。

容姿ランキングへの熱狂とその負の側面を見つめる視点

なぜ人はランク付けや比較に心を奪われるのか。社会心理学的には、他者の外見を意識し比較することは集団の中での自己位置を確認し、自己肯定感を得ようとする本能的な行動でもある。だが、この欲望は他者を単なる「物」として扱い、尊厳を軽視することに繋がるリスクを孕む。
容姿のランキング付けをむやみに取り上げるメディアのあり方も問われなくてはならない。単なる話題性やアクセス稼ぎのためではなく、報道としての倫理観を持ち、外見による差別や偏見を助長しない視点が必要だ。

まとめ:美しさの多様性とルッキズムとの闘い

・「世界で最も美しい顔ランキング」は、ひとりの個人の嗜好に過ぎず、権威ある評価ではない。
・日本人がこのランキングに熱狂する背景には、海外の承認欲求や美を巡る独特な社会的価値観がある。
・容姿に基づく差別や偏見(ルッキズム)は深刻な社会問題であり、若年層にも悪影響を及ぼす。
・日本と国際社会には容姿評価に対する常識の違いが存在し、日本社会の価値観の変革が求められている。
・現在も容姿ランキングの報道は根強く残るが、多様な美の理解と尊重が今後さらに重要になる。
私たちが本当に求めるべきは「美しさの多様性を認め合う社会」であり、ひとつの基準に囚われることなく、自身の価値を外見だけで測られない成熟した社会だろう。見た目のランキングに熱狂するのではなく、人間の尊厳に目を向ける視点が、いまほど求められている時代はない。

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